今日は平凡パンチの創刊の日

1964年4月28日が創刊だと言うことです。

朝、寝床で、番組名は失念しましたが、いつも聞いているインターネットラジオの「FM葛飾」から、「今日は何の日?」ということで、アンカーの解説が、「平凡パンチ」を、とりあげました。

一時はkazanの文化でした。

開くと美人のヌードがでてきます。

心臓はバクバクで、禁じられた世界へ足を踏み込んだかのようなスリルがありました。

50円だったのですね。

中学生であった頃、50円は、一週間に一度、日活の封切り三本立てを見に行く時の割引後の特別料金と同額でしたから、これが高かったものか、普通であったのかは定かではありません。

日活では三本立の一本目が、裕次郎か小林旭の封切りで、カラーです。

もう一本が文芸路線物で、モノクロの封切り、それに田舎の映画館の客寄せサービスの濃厚な姿勢が三本目に出ていました。

石原裕次郎、小林旭、和田浩治、赤城圭一郎、赤城圭一朗が事故死してからは、そのラインに宍戸錠と二谷英明が加わり順繰りの主役を張った、順封切り物の三本セットでした。

50円の根拠は本来、中学高校生は「中人」で80円でしたが、初回入場時70円でチケットを買うと、4週間位有効の30円割引優待券をくれるわけ。

従って、その期間内に足を運んでいれば、常に財布の中には割引券が忍び込まれており、当時は一週間くらいで上映番組が変わりましたから、毎週土曜日の放課後は、カバンを下げて、映画三昧でした。

こんな時代の平凡パンチ。

50円で、エロ本ではないが、美人の裸が見れるのですから、当時としては、日活を一回見過ごしてまで、学友と買い回しし、ハマっておりました。

流行りましたね。。

ニ八(にはち)に分けて、刈り上げをしない、フロントをアップにさせる、イラスト通りのヘアースタイルは、平凡パンチの表紙のイラスト通りでアイビールック、高校生以上で流行っておりました。

高校で東京に進学し、長髪可ですから、「バイタリス」を買ってセットしたら、ドンビシャのアイビールックが誕生です。

生徒会会長の応援演説で、体育館の壇上に上がった時に掛け声がありました。

「いョッ! バイタリス」

以来、高校時代のニックネームが「バイタリス」でした。

長めで濃紺のラグラン・スリーブ肩・ステンカラーコートのエリを半立てにして、ボタンを外しコート前の左右を両腕で開き、スラックス(平凡パンチではパンツ言う表現はしてなかった?)の左右のポケットに手を突っ込むことでコートは左右に開かれます。

これが表紙のイラストレーター大橋歩氏のイラスト通りのポーズでした。

粋がって、銀座みゆき通りに遠征し、今は無きジュリアン・ソエルの3階のティールームのガラス越しに、通りを行き交い、たむろする「アイビールック」のお兄ぃちゃんや、ロングスカートに、長めの髪、ズタ袋を巻き込んでバッグ代わりにする「みゆき族の」お姉さまたちを、まぶしく見つめていました。

恐れながら、この「文化」の走り、魁が「平凡パンチ」でしたから、ツイ懐かしのあまり、悪ノリしてしまいました。

まさに軽薄の至りです(汗)