タンゴ喫茶「ポルテニア」で聞いた「碧空」に色彩を見た瞬間

日本は連休、音楽データの整理

この数週間、あまりブログ更新していません。

あまり気分が乗らないので、i-cloudやone-driveに貯め込んだ音楽データを、PCの音楽再生・管理ソフトへの取り込みや整理や、クラッシュしたi-podの中のお気に入りのロマン歌謡グループ・敏いとうとハッピー&ブルーのディコグラアフィー「よこはま物語」16曲のサルベージをしたのですが、12曲は成功したものの、肝心の「よこはま物語」は没でした。

同じくクラッシュした、外付けのハードディスクには残っているはずですので、いずれ帰国しっと時に、修理をし、復活再生をしたいと考えました。

とりあえずは、iPodもクラッシュしており、世代が古いため、台湾での修理対応はあんまり期待できませんので、これも帰国後。。

ということで、否応なしに、モバイル環境での音楽環境構築は、i-Padとスマホに選択肢は限定されてきますので、今回は、スマホの環境に着手です。

疲れて、長椅子にヒックリ返りながら、端末を触っていると、懐かしい曲や演奏アイテムがリストアップされます。

埋没していた曲

アルフレッド・ハウゼの「ジェラシー」と「碧空」たまりませんね。

気持ちは昂ぶり、記憶は若い日の音楽に初めて感動した時に思い出の時代にワープします。

忘れがたい音楽での感動

1950年代横長のプラスチックボディー・真空管5球スーパーのラジオからながら出る音曲は、民謡と歌謡曲、童謡とラジオドラマのテーマソングと小学時代の唱歌位しか知らない環境下の中一の音楽の授業で、音楽教師が鳴らしたハワイアンには腰を抜かしました。

そして一年後、全校生が集まる体育館で執り行われた始業式か終業式のような中で、突然ブラスバンド部が演奏をはじめるという場面の出くわし、そこで聞いた、タンゴ「ラ・クンパルシータ」を聞いた時は卒倒しかけたくらいの感動でした。

この二つの出来事は、実に音楽的カルチャーショックそのもので、当時の自身の音楽環境がいかに貧困を極めていたかを実証したようなものです。

聞いて、情景が見えたはじめての曲

初めて情景が見えた曲は、チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」でしたね。

多少音楽のカルチャーショックを受けた中学生の少年kazanは、聞いてい五球スーパーラジオのオーディオ端子に接続する、レコードプレーヤーを購入し、コンサートホールとかいうレコードの通販で手に入れた、生まれて初めて購入した30センチLPから流れる最初の音で、尊厳な宮殿が見ました。

そして後年の学生時代、女子美出の彼女と他愛ないデートをした時、偶然四谷見附の外堀通りから、はじめて遭遇した格子塀と門扉越しに見えた旧赤坂離宮の光景が実に碧の宮殿とほとんど同じ様な記憶で甦ったことを覚えています。

聞いて色彩が見えたはじめての曲

中2か中3の秋田の冬の時期に、有名な繁華街の横丁の奥にひっそりとたたずんでいた一軒の少々大人びた喫茶店で聞いた音楽でした。

激しく降るユキの中で、偶然に入った喫茶店であっただけに、鉛色の冬の空の色彩が記憶の殆どを占めていた自分の音と色彩とのイメージ感覚は、曲が流れた瞬間に発狂しました。

抜けるような「青空」は認識してましたが「蒼空」あるいは「碧空」の色がフラッシュバックした瞬間でした。

店の大人びたウェートレスさんは、それが、「タンゴ」というもので、「碧空」であることを教えてくれました。

タンゴに遭遇したのは、この時が二回目で、最初の「ラ・クンパルシータ」といい、それからの「青空」といい、その演奏がコンチネンタル・タンゴと言うジャンルにあるということを知るのは、数年後でしたが、当時、日本では、タンゴと言えばコンチネンタルタンゴのほうが一般的であったと記憶してます。

50代の頃、秋田に所要があり、一泊をした時に、その店を訪ねたのですが、その場所は飲食店のアーケードに変わっていて無かったです。

店の名前は「ポルテニア」、とても素敵なネーミングで、自分の海馬に永久に残るはずです。